お久しぶりです
日曜日に急逝した母の葬儀を終え、昨日の夜札幌に戻ってきました
入院して二週間、先週の日曜のお見舞いで会ったのが最後になりました
前日の夜にもらった父からのメールでは、検査の結果も出て、時間はかかるかもしれないがすぐに悪くなることはないだろうとのことでしたので、日曜の朝に危ないとの電話をもらった時はまさかという感じでした
そのわずか2時間後、函館に向かう特急の車内で亡くなったとの連絡を受け、全てが急で心の準備も覚悟も全くできていませんでした
ただ、生前よく家族で万が一の時のことについて話していて、家族間で意思統一されていたこともあり、亡くなるまでの治療について、葬儀について、母の希望通りにすることができました
後日、親戚一同からはかなり厳しい声を聞くことになるでしょうが、それもやむなしと考えています
私としては、この数日間こんなにゆっくりと別れを惜しむことができるものとは思いませんでした
自己満足と言われるかもしれませんが、これで良かったと思います
母は、病院や検査が嫌いで、痛くても我慢する人でした
ですから、自ら入院すると言った時には、もう覚悟を決めていたのだと思います
周りに心配や苦労を掛けることも嫌う人でした
なので、病院で何か月も何年も過ごして周りに苦労をかけるなら、早く逝ってしまった方がいいと考えたとしても不思議ではありません(頑張って闘病している人を否定しているわけではありません)
家族みんなが「潔すぎるよね」そんな印象を持っています
とにかく白黒ハッキリした人でグレーゾーンが嫌い
借金が嫌い、だからローンも嫌い(笑)
無駄遣いしているのを見たことがありません
私が何か始める時も「あんたが決めたんだから」とほとんど反対されたことはありません
植物を育てるのが昔から好きで、家の中は観葉植物であふれています
これから、それを枯らさずに育てるのが、父の役目の一つになります
私は生まれつき視力が弱いのですが、それが母の妊娠中の貧血が原因だったことを、ずいぶん気に病んでいたようです
私自身はそのことで母を恨んだことはなく、むしろ漢字を早く覚えることができ、今の仕事ができているのは目が悪かったからだと感謝しているくらいです
色々な方々からお悔やみの言葉をいただいていますが、今のところは悲しいというより後悔の念の方が強いです
こんなことをしてあげれば良かったと思うことがたくさんあります
ただ、そう思うことが供養になるとお寺さんにも言われました
昨日の帰りも同じ年くらいのおばあちゃんを見るたびに、何故母はもっと生きることができなかったのかと考えていました
亡くなるまでは、こんな気持ちになるとは思いもしませんでした
今は残された家族、特に母が最後まで気にかけていた父のことを大切にして、安心してもらおうと思います
母にしてみれば、自分で言うのもなんですが、「大学まで」は私は自慢の息子だったと思います
そこからは随分と心配もかけました
私が言うのも何ですが「孝行をしたい時には親はなし」です
お盆休みで実家に帰省される方もいらっしゃると思います
できるだけ親孝行してあげてください
ブログは、しばらくは不定期更新になるかもしれませんが、ご了承ください
それでは、今日はこのへんで